運動ってなんでしょう。
オリンピックの存在と共に競技スポーツを中心とした力と力がぶつかり合い、高め合うことが運動の中心にいました。
学校で習う体育もこれを中心に作られています。私も漏れずしてこの枠組みの中で青春を過ごしてきました。
そのパフォーマンスを上げることに魅力を感じ、サポートしたいと思いトレーナーという道を選んだ人間です。
でも今では
力を入れること鍛えることスピードを上げることなどは、日常生活レベルで生きる上ではあまり重要ではないのではないかと思います。
もちろん
アスリートが仕事としてパフォーマンスを上げ、試合に勝ち、人々に感動を与える時に必要かもしれません。
モデルや役者が仕事として魅せる身体を作り上げることは、時に必要かもしれません。
趣味でスポーツを楽しみたいから動ける身体を作りたくてトレーニングに励むことも個人の自由ですから何にも問題はありません。
でも
日常生活レベルの一般市民がやらなくっちゃ!痩せなっくちゃ!と高いお金を払ってトレーニングをしてる姿を見るとなんだか不思議に見えます。
大人になるとお金を持ち自由が増えます。特に都心は物に溢れていますから
心が満たされてしまい、物事に疑問を持ちにくくなります。いわゆる『心の肥満』です。
脳や神経を通じて様々なことを身体に訴えかけ続けています。
心の肥満が当たり前になると思考力が落ち考えなくなるため、そのセンサーに気づきにくくなります。
以前、TVのドキュメントでイチロー選手も『身体をどんどん大きくしようとするとセンサーを感受しにくくなり怪我をしやすくなる。』とおしゃっていました。
だからイチロー選手のトレーニングは自由にイメージ通り動くための神経系のセンサーを高めるために行っているそうです。だから怪我しにくい。
つまり何が言いたいのかというと
トレーニングをすることが悪いことではないしこれからも必要な人には必要です。
ただそれよりも、自分の内なる情報を感受するためにセンサーを鈍らせないことに目を向けた方がいいのではないかということです。
大きく強くすることが良しではないよということです。
人間は骨の周りに筋肉や脂肪、臓器や神経が存在する生き物です。
筋肉使って身体を動かすことを運動ということが多いですが、
呼吸も消化も運動です。顔を動かすことも運動です。
そして
『動かないように維持することも運動です。』
顔も表情筋として注目されるのは動かすための筋肉ですが、当然動かさないための筋肉もたくさん存在しています。
でないといつも動いてる顔になってしまいますから。(表情筋は内臓由来なので食べ過ぎやストレスなどで負担をかけると
顔に影響を与えますが、この話はまたいずれの機会に)
では動かさないための筋肉とは何なのかというと『インナーマッスル』と言われる骨と骨とでできる関節に近いところに存在し、
関節を安定させ、安心して動かすことができようになるための筋肉のことです。
インナーマッスルが高センサーで瞬間的に関節を安定させてくれるから、身体が安心して大きく動くことができるようになります。
時に柔軟をしていないのに身体は柔らかく可動域が上がります。
(これをモビリティと言い、最初にやるべきことなので、モビリティファーストということもあります)
逆を返せば
いつも力を入れることを考えている人、力が抜けない人は『身体が安心できていない状況』に自ら陥れているとも考えられます。
つまりは
『力を抜けない、硬い身体』→『センサーをキャッチできずに安心させてあげられない身体』いうことです。
心の肥満を最小限に抑えコントロールし、内なる声に耳を傾け、センサーを衰えさせない。
すると身体がどう動きたがっているのか。何が身体に必要なのか。どんな運動が自分には必要なのかが見えてくるのではないでしょうか。
もう一度言うと、身体を強く大きくすることが運動の全てではありません。もちろん必要な人には絶対に必要です。
でもそうではない人が大多数だということも忘れてはいけないと思います。
人によっては
トレーニングなのかもしれません。
食事コントロールなのかもしれません。
芸術に触れることなのかもしれません。
登山なのかもしれません。
掃除なのかもしれません。
楽器に触れることなのかもしれません。
人と触れ合うことなのかもしれません。
大切なのは内なる声に耳を傾け、センサーを衰えさせない。
そこに人生を満たすための大切さがあるように思います。
強く鍛えなくてもいい。
そういう視点を持つトレーナーも必要だと思います。
『静の強さは時に動の強さをも上回る』
REMINd
Personal Face Trainer
-木村祐介-